スポーツ場面(指導者)における自反尽己(じはんじんこ)

 

 

「自反尽己(じはんじんこ)」

「自反とは指を相手に向けるのではなく、自分に向ける。すべてを自分の責任と捉え、自分の全力を尽くすこと。」

 

よくスポーツの場面で、指導者が怒っている姿を見かけます。

「なんであんなプレーをするんだ!」

 

その瞬間…
選手は一斉に指導者のほうを向き、笑顔は消え、表情は硬く、選手は固まってしまいます。それは周りにいる人も…

そして場は凍り付いてしまいます。

 

その後のプレーってどうなるのでしょう?

 

もしかしたら選手はもう慣れっこで

怒られても右の耳から左の耳って感じで、声援の一つとして聞き流しているかもしれません。

ただその受け止め方も人それぞれ。

聞き流せる選手もいれば、気に留めて落ち込む選手、中には奮起する選手もいるかもしれません。

 

ただ一般的に、怒ることがプラスに働くとは考えにくいのが事実。

 

自反尽己という考え方は

このように思い通りにいかないことがあっても

「もしかすると自分の責任かも…?」と考えることで、対象を相手から自分に置き換えるものです。

 

・そもそもいろんな場面を想定して普段から練習を行っていたか?

・いろんな状況が起こることを予測してチーム全体で声かけを行っていたか?

・選手のモチベーションや集中力を高めるような声かけなどを行っていたか?

など、指導者側やベンチワークなどに問題があった可能性もあります。

もちろんいろんなケースがあるので、これらの例はあくまでも例えです。

 

当然選手自身の問題もあります。

気持ちがどこかほかに向いていて集中力が欠如しているなど、時には怒られて当然のこともあるでしょう。ある程度の厳しさはルールの順守や人間力の形成においても大切なことです。

しかしながら、“怒る”ことは一時的に個人にもチームにもマイナスの状況を生み出します。

それを覚悟で怒らなければならないときもあるかもしれませんが、企業においてもほかのスタッフの前で特定のスタッフを叱責することはパワハラであり、許されてはいません。

もちろん個別であっても強く叱責することが許されるわけでなく、「教える」、「諭す」ように話をすることが求められます。

“怒る”ということ、スポーツの現場では日常茶飯事として行われていませんか?

バレーボールの益子直美さんが取り組む監督が怒ってはいけない大会があることは皆さんもご存じかと思います。選手がのびのびと動き回る姿は活気があり、見ているほうもワクワクしませんか?

 

「自反尽己」という考えを持つことは、自らの心にゆとりを持たせることにもなります。

指導者としての器を広げ、より選手や周囲から支持される指導者となるためにも必要な考え方だと思います。

そうすることで、結果的に選手の力を伸ばし、チームとしてもよい結果をもたらすと考えています。